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セバスチャン・F・ソロウ

バッハやモーツァルト、ベートーベンなどのクラシックのアルバムに私がなじめない理由はふたつあって、ひとつは、曲が長いこと。もうひとつは、ヴォーカルが入っていないこと。

レコードやCDができる前に書かれた楽曲であるから、いたしかたのないことではあるんだが、交響曲第何番とかは、時間が長すぎて、とても集中力が続かない。もっとも、モーツァルトの交響曲を、現在の3分間の曲と比較することが、そもそも間違っているのであり、交響曲というのは、全体でひとつのアルバムと思うべきなんでしょうな。

ヴォーカルについては、では、オペラはどうかとなるんだが、クラシックの声楽の歌い方が好きではない。あの歌い方も、おそらく、マイクができる前の歌い方であり、劇場で天井桟敷まで聞こえるような声を出すために、ああやって歌うことにしたのかもしれんのだが。もしくは、神サマに届く声というのは、ああいう声しかないのかね。

ロックでも、実はロック・オペラというものがあった。そんなにたくさんはないです。指で数えられるほどじゃないでしょうか。だが、なぜか、試行錯誤の段階で死滅してしまったのがロック・オペラ。死滅してしまった以上、オペラと呼ぶのはヘンだと考える人たちは、単に、ソング・サイクルといいますね。

ロック・オペラで成功したものというと、ザ・フーの「トミー」のみで、他だと、今回とりあげる、ザ・プリティ・シングズの「S.F.ソロウ」。また、ソング・サイクルというように、ちょっと広い意味でとらえるならば、ビートルズの後期の一連のアルバムも、ある意味そうです。「サージェント・ペパーズ」や「アビイ・ロード」の後半部など。

ザ・プリティ・シングズ。まァ、やさしく解説しますと、ビートルズやストーンズ、キンクスなどと同じころにでてきた、イギリスはロンドン出身のバンド。初期のシングルのワイルドな曲も好きだが、1967年につくられたアルバム、「S.F.ソロウ」。「ソロウ」というのは「悲しみ」という意味もかけてありますが、「セバスチャン・F・ソロウ」という、ひとりの架空の人物の名前です。

冒頭が「S.F.ソロウ・イズ・ボーン」という曲ではじまる。つまり、S.F.ソロウが生まれたという歌詞だ。このS.F.ソロウが生まれてから、爺さんになるまで。その一生を、ストーリーじたてで、組曲のような形にしたのが、このアルバムになる。

私はこのアルバムが好きなんだが、単に、アルバム一枚がひとつのストーリーですよといっちゃうと、なんか、やすっぽいね。誰でもできるように思うかもしれないが、なぜか、その後は、ザ・フーの「トミー」だけで、それ以後、ないの。当たったのはひとつもない。

今、CD屋にいくと、音楽はほとんどアルバムとして売られていますね。でも、それは、アルバムというカタチです。プロの作曲家でも、バンドでも、ある時期にできた曲の10曲とか、12曲とか、14曲とかできたら、それをまとめて、順番考えて、CDにするだけね。ストーンズからアマチュア・バンドの自主制作盤まで、みんなそう。

たまに、このCDはコンセプト・アルバムです!なんて能書きがつくけれども、そんなの、「S.F.ソロウ」に比べたら、何がコンセプトだってもんだよ。「S.F.ソロウ」を岩波文庫のゲーテの小説とするなら、ちまたにあふれるコンセプト・アルバムは4コママンガ集です。

それで、私は、ザ・フーの「トミー」よりプリティ・シングズのほうが好きなんだ。「トミー」は題材がやや暗いということもあるんだけれど、「S.F.ソロウ」は、全体的な構想がひとまわりデカいといいますか、アルバムを通じて、一本の太い糸が通っている感触があるのね。後半のクライマックスの、「トラスト」から「オールド・マン・ゴーイング」にかけてのくだりがスバラシイ。「オールド・マン・ゴーイング」が、このアルバムの中では、いちばん攻撃的なサウンドなんだが、よくこんなものをエンディング前にもってくるナと思う。

プリティ・シングズのフィル・メイが、なんでこんなものをつくったか。まだ、そのころは、CDはないからね。レコードのLPだ。A面、B面。

レコードのシングル盤だと、A面に1曲、B面に1曲というフォーマットで、まァ、ヒット曲をひとつ出すなら、このシングル盤にエネルギーをつぎこめば良かったんだが、まず、ビートルズがそれじゃ物足りないと考えたんですね。だから、ビートルズの一連のアルバムがある。レコードのLPというカタチを使って、アルバムという作品を生みだす。

ビートルズがアルバムなんてものを始めてしまったもんだから、後のロック・バンドはみんな苦労することになったのかもね。レノン/マッカートニーなら、いいアルバムを毎年つくれたんだろうが、ふつうのバンドはできない。

ただ、プリティ・シングズは、まァ、シングルがいくつか当たって、ようやく、ビートルズと同じレコード会社と契約するにいたる。そこで、フィル・メイが、一世一代の大勝負を、セバスチャン・F・ソロウというキャラクターに託したのが、このアルバムでしょうね。

まだ、ザ・フーの「トミー」はないんだよ。ビートルズの「サージェント・ペパーズ」と同時期につくったのが「S.F.ソロウ」ですから。

悲しいことに、プリティ・シングズ渾身のアルバムは、季節はずれのあだ花で終わる。売れなかったらしい。

これが、ワカラナイ。そりゃ他にも、私が好きなバンドで、当時、なんでこの曲が売れなかったの?というのはいくらでもあるけどね。でも「S.F.ソロウ」がヒットしなかったというのが、まったくもってワカラナイ。

単なるプロモーションの不足とかいうハナシなのか。サイケ調の曲が、ややタイクツだからか。あるいは、初期のプリティ・シングズのワイルドなイメージと、かけはなれていたからか。

結局、40分間フルの一本のストーリーというのを、通して聞くのがメンドクサイからですかねえ。

今は、CDだからラクですよ。まァ、ハナシの筋は、昔、歌詞カード見ながら何回も聞いたのでわかっている。映画の名場面だけみるのと同じでね。冒頭の「S.F.ソロウ・イズ・ボーン」を聞いたら、11曲目「トラスト」から「オールド・マン・ゴーイング」。ここだけ何回も聞く。もっとも、アイポッドを使えば、さらにラクなんでしょうな。

むろん、他の曲もいいんですが。近年のプリティ・シングズの映像がユーチューブにあったよ。好きな人はとっくにDVDで見ているのかもしれんが、アルバム、「S.F.ソロウ」より、「バロン・サタデイ」、お聞きください。

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